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オーダースーツの日本の歴史は、日本独自のスタイルを形成

オーダースーツといえば、現在、国内ではブリティッシュ・イタリアン・アメリカンなどのスタイルが主流となっています。背広の原型は17世紀のフランスの宮廷貴族の上着が発祥といわれており、メンズスーツの原型はフロックコートだといわれています。オーダースーツの歴史について紐解いてみます。

スーツの源流

スーツの源流といわれるフロックコートは、15~16世紀のヨーロッパで農民が着ていたもので、軍人や貴族のコートとしても幅広く使用されるようになっていきました。
その後、18~19世紀に散歩用として使用されたモーニングコートや乗馬用の燕尾服がイギリスで流行してくると、その形式の服が正礼服として認知されるようになりました。

欧米のスーツの歴史

1930年頃のロンドンで誕生したのがブリティッシュスタイルの原型であるイングリッシュ・ドレープスーツで、イングリッシュ・ドレープスーツに大胆なという意味の男性的な力強さを表現したボールドリックが1940年代のアメリカで流行していきます。
1960年代になるとアメリカの名門の8大学の学生が若者向けのファッションスタイルとしてアイビースタイルが流行していきます。
1980年代になると、デザイナーズブランドの台頭からイタリアンファッションにつながっていきます。

日本のスーツの歴史

日本のスーツの歴史は、欧米からの影響を受けつつも、日本独自の文化や価値観を反映して進化してきました。明治時代に西洋文化が急速に流入し、その中でスーツも西洋の象徴として取り入れられました。当初は外交官や官僚、軍人などの限られた層が着用していましたが、次第に一般社会にも広がっていきました。

明治時代:洋装の導入

1868年に明治維新が起こると、西洋文化を積極的に採り入れることが推奨されました。日本政府は「文明開化」の一環として、役人や公務員にスーツを着用させました。特に軍服や外交儀礼の場で着用される洋装は、近代国家の象徴とされました。この時代、スーツは主に輸入されていたため、日本の気候や体型に合わないものも多く、着心地はあまり良いものではなかったと言われています。

大正時代:スタイルの発展

大正時代になると、西洋文化に対する憧れが一般市民の間にも広がり、スーツの着用がさらに普及しました。特に都市部では、男性が洋装で街を歩く姿が一般的になり、映画や雑誌を通じてスーツのスタイルが紹介されるようになりました。この時代のスーツは、まだ西洋のスタイルを忠実に模倣していましたが、日本の職人技が取り入れられ、次第にフィット感や素材に改良が加えられていきます。

昭和時代:日本独自のスーツ文化の確立

昭和に入ると、スーツは日常のビジネスウェアとして定着し、日本独自の進化を遂げていきます。戦後の経済成長期には、日本企業が国際競争力を高めるためにスーツを取り入れ、ビジネスマンにとって欠かせないものとなりました。日本の気候や体型に合った「軽くて動きやすい」スーツが開発され、特に「ジャパニーズ・スーツ」とも呼ばれる独自のスタイルが誕生しました。このスタイルは、欧米のスーツよりもシンプルでスマートなデザインが特徴で、素材や縫製技術においても日本の伝統的な技術が取り入れられています。

平成時代以降:カジュアル化と機能性の追求

平成時代以降、日本のビジネスウェアにはカジュアル化の波が押し寄せます。「クールビズ」などの政策により、ネクタイやジャケットを省いた軽装が推奨され、スーツもより柔軟で機能的なデザインへと変化しました。また、日本独自の素材開発技術により、通気性や防水性に優れたスーツが登場し、機能性を重視するビジネスマンに支持されています。

日本のオーダースーツは独自の進化を遂げています

オーダースーツの歴史は文化の歴史として、欧米ではルールやマナーの下、いろいろなスタイルに発展してゆき、日本にもその都度導入されてきました。
明治時代から大正、昭和と急激な西洋文化の取り込みによりスタイルの取り込みが優先され、ルールやマナーの取り込みが遅れたことにより、日本独自の歴史を歩んできており、欧米各国のスタイルを日本のスタイルとして確立されています。

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